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日々繰り広げられる30匹の猫達との戦い


by kikisora
青い眼の白猫「チコ」は 父の指を噛み 少し申し訳なさそうに
うなだれている。 

昨年、12月18日頃に噛まれた父の指は どんどん腫れて自分の
応急処置では限界があり、夜は疼いて眠れず また、母の痴呆は
急激に悪化していった。

丁度、通っていたY脳神経外科で 母のアリセプトをもらいに行くと
同時に 父は、自分の指も診てもらった。

指は 腫れ上がり2本分の大きさとなった。抗生物質を飲み 1週間程も
過ぎたが いっこうに良くならず それどころか痛みは増すばかり・・。

私は 包帯を巻いて上げるのを手伝っていたが 人の指とは思えず
皮膚は変色し 硬くなっていた。「すぐ、医者へ行ってきて!」
付き添って行きたかったが 12月は出張や仕事が多忙を極め 
仕方がないので 娘に頼み、ついていってもらった。

その頃の母は、医者へ行っても「何でこんな所にいるんや?」を連発し
「家へ帰るよ!」を1分おきに言うので たまらない。
その上、難聴者である父は医者の説明も聞こえないため、母の手を
つなぎながら 医者からの説明を父に書いて説明しなければならない。

これが とても大変なのである。 娘は快く 私の代わりを
承諾してくれたが その日のY脳神経外科は超満員だったらしい。
父の前に 母を診てもらったが 医者はかなりの年配で70才くらい
だと思うが 「このウサギちゃん 見えるかなぁ?」と見せたらしい。

娘は「うちの婆さんは 少し良くなるものでしょうか?」よ聞くと
「な〜ん良くはならん!悪くなって 寝たきりになるわいや!」と
答えた。娘はムッとして それでも抑えながら「その症状を維持して
いけるものですか? 家族はどう対処していけば良いか教えて下さい」
と言ったが 待合室が 患者さんで溢れかえっているせいか「・・・」
無言のまま。

母の手をひき 待合室に座らせて かわりに父が指を診てもらうため
入っていった。 「月曜日に もう1回 来いや!」との声が 父には
聞こえず、再度「月曜日に来れば 宜しいですか?」
医者は不愉快そうに「今 言うた!」と答え 次の患者を招き入れた。

何よりも 看護婦さん達のちょっと怪訝そうな にやにやした顔を
見た瞬間 娘はきれた!!
「じぃさんの耳が聞こえない事はご存じでしょう? 何故 優しく
言っていただけないのですか?ばぁさんの事も 何故ゆっくり
家族に説明していただけないのですか?」

みんな 無言となった・・。何事もなかったように知らん顔をして
患者をこなして?いく後ろ姿に 娘は「もう こんなとこ2度と
来ませんから!!」と病院を後にした。

娘からの報告に「よく言うたぞ。私ならもっと言うとった。
ありがとう・・。代わりの病院を探そう。」と 翌日近くの
外科医院へ父を連れていき 母の件は ケアーマネージャーなる
方に相談してみることにした。

翌朝 早速 父をN外科医院へ連れていったところ、包帯を開いた
途端、膿がぼたぼたと流れ出た。「この状態では 腕や手首を
切断と言うことにもなりかねません。設備の整った大きい病院
を紹介しますので 今からすぐ行きなさい!」と 言われ
すぐ走った。

12月25日を過ぎたころだったと思う。
その病院で膿をだしてもらい 痛み止めと飲み薬をもらい
その日から お正月も関係なく通院することとなった。
相変わらず、母を連れて診察室で医者の言葉を筆記する状態は
一人では難しく 姉に母を見ていてもらい 私が父について
話を聞く事にした。

母の事は ケアーマネージャーが自宅へ様子を見に来て まず
介護度の認定をうけることから始まった。
特養、老健、ショートステイ、老人ホーム等々 馴染みのない言葉
が わたしの頭の中を駆け巡った。 

頭の中は パンク寸前!不安でいっぱいになった。
# by kikisora | 2005-03-27 13:39
隣の大勢のネコ達は、私が部屋へ入っていっても ドドーッと逃げ
タンスの上、食器棚の上、冷蔵庫の裏、押し入れの中などに 我先にと
隠れ 撫でてあげるところまでは 到底 無理な話であった。

手術したネコは 後に解るように しっぽの上あたりを10センチ程 
刈り上げている。1、2,3・・と数えてみるが 10まで数えると
動き回るため また初めから 1、2,3,4・・「え〜い!
じっとしとらんかい!」。「あ〜ん??」といぶかしげに 見下ろし
満員電車に乗っているみたいに 同じ方向ですわっている。

「ニャ〜ロ〜」ビッグトラが 上で小さい縞ネコを 手込め?にしよう
としてるではないか!! ふと、縞ネコを見ると ワーオ 刈り上げ
てないぞ。ど、ど、どーする????

2匹を 別の部屋に置けば 大丈夫だろうと 半分づつを別けて
おく事にした。 私は、慌ててM動物病院に電話した。
「でかいトラネコの「トラ」が バリカンで刈り上げてない縞ネコ
の雌を 犯したみたいけど どうしよう??」と相談すると
「あまり 神経質にならずに・・落ち着いて下さい」と受付の女性に
言われた。

「そっか。そんならしばらく様子をみるかぁ・・」とにかく この
すんごい部屋をきれいにしよう・・と おびただしい量の糞を
袋に次々入れ くたくたになったのである。

近くに住む 姉にも手伝ってもらい、仕事を終えると マスクに
手袋 ほうきにちりとりを持ち、長靴をはき工事現場のおっさん
と間違われそうな格好で「さぁーっ 行くぞぉ!オーッ!」の掛け声
と共に隣んちへ入っていく。

ある日、私と姉(私の店を手伝っている)は 毎月出かけている一拍
の出張となった。うちに住む白ネコの「チコ」のことが 何となく
気がかりだったが 餌くらいはいつもあげてくれてるし大丈夫・・。
と 出発した。

母がいつも 2階のネコに夜ごはんをあげてくれていたので一抹の
不安はあったが、今の母では無理だし 父に依頼したのだが・・。

嫌な予感は的中するものである。
父が 餌をあげようと2階のドアを開け トイレの始末や 餌を
容器に入れているとき 頭の良い 気の小さい「チコ」は ドアを
ジャンプして開け 階段を下りていった。

「にゃ〜にゃ〜」と階段下で泣いているチコを 「えらいこっちゃ!」と
慌てて ぎゅっと捕まえたその瞬間 ガブッと左手の人さし指を噛んだ。
噛ませたまま、部屋へ連れていきドアを閉めたらしい。

母は、「頭 ボーッとして なーんもわからん・・。」とソファに
横たわったままである。父は自分で薬を塗り 包帯を巻きその場は
それで終わったのだが。これが、どえらい事になるとは 夢にも
思わなかった。
# by kikisora | 2005-03-25 15:54
娘と娘婿から、「絶対 保健所に連絡したらだめやよ!」と
インターネット上での動物協会へ相談したことを聞かされた。
そこは どうやら沖縄の方につながったようだ。

とても親切な女性の方が電話口にでてくれ、現在50匹程 保護して
いるらしく「近くであれば いくらでも保護してあげる事はできるが
沖縄までは大変なので 北陸では富山の協会があるので紹介しましょう」
と言って下さった。

富山の協会へ電話すると これまたご親切に「わたしも 今は30数匹
を保護しています。子猫ならすぐ里親探しをお手伝いしましょう!
まず、今いる女の子を避妊して下さい。」と言われた。

「人に慣れていない状態なので どうやって捕獲すればよいか解らない」
と言うと 「私達の所に とても良い捕獲機があるから今度の土曜日に
持って行きましょう」と言うではありませんか。

願ってもない事で その捕獲機とやらを取りに行くことにした。
平行して 私は近くのM動物病院に協力して下さるようお願いした。
院長が「何匹くらいいるの?」と聞いてきた。
「それが、今の段階では15〜20匹くらいだと思う。」というと
「じゃぁ 明日うちの学校の生徒を数人連れて見に行きます」と親切に
答えてくれ 翌日5人の生徒さんと、院長先生 先生1名と計7人
もの人達が 手にネコを運ぶものを持って家の中に入って行った。

家の中から 数匹が何かの異変に気づき キョロキョロ外を見ている。
一人の生徒さんが「わぁ〜カワイイねぇ〜」と手を振っている。

どたんばたんと音がして 見に行くと大勢のネコ達が必死の形相で
飛び回り、死に物狂いで逃げるためエライことになっていた。

しかも、院長先生は引っ掻かれ手首にうっすら血が滲んでいた。
生徒さんたちも青ざめた面持ちで出てきた。

「協会から捕獲機を借りてくるので 待ってて下さい」と伝え
ひとまず 引き上げてもらった。

捕獲機は、単純なものだがネコをキズ付けず捕獲出来るものだった。
丁度、ネコ1匹が入れる入り口で 奥に餌を置き そこにたどり着く
手前にバネがあり それを踏むと扉が閉まるものである。

夕方から 3台にしかけをして その日から「捕獲大作戦!」なる
ものが始まったのである。 毎日といって良いほど 雨の日も風の日
も M動物病院にせっせっと運び 腰痛にもめげず、1ケ月が過ぎた。

ほとんどの雌ネコ達は 妊娠していたようだ。
院長先生は「11月中に何とかしないと 限りなく増えるぞ!」と
言ったとおりであった。  (今考えてもおっとろしやぁ〜!)

全部で20匹を運び終えた。だが、気がかりな言葉を 父ははいていた。
「一番立派な雄のトラは オスやからそのままでも大丈夫やろ・・。」
トラは 気弱でおとなしいネコだが その大きさは本物のトラの子みたい。
絶対、あの捕獲機に入らんであろう!顔でひっかかるくらいデカ顔。

母は 無邪気な顔で「これ、食べればいいんか?もう うちへ帰らんと
いかん。何を着ればいいのやろ?」と父の後をついて歩き、父はほとほと
参っているようだった。これが、夜中に何度も聞くから たまったもん
じゃぁない。 ある朝、「わしゃ、もう頭が変になりそうや!」とソファ
に倒れ込んだ。

 私は夜な夜な うなされ、眠れなかった。 気づくと4キロちかく
 体重が減っていた。

こんなとき 決まって 中島みゆきの「わかれ唄」の曲が頭を
かけめぐる。

「道に倒れて だれかの名を〜♪」 今日もまた流れている・・。
# by kikisora | 2005-03-21 19:21
昨年の6月頃から 母-サザエさんは物忘れがひどく
なっていった。 例えば スーパーへ買い物に行くと前日買った物と
同じものを買ってくる。

ひどいときは、同じ豚肉が冷蔵庫に何個もあり 朝から豚肉料理と
なった。その上、20年前の出来事と1週間前の出来事が一緒になり
娘とよく喧嘩をしていた。 興奮すると決まって「私に死ね!という
ことなんや!」と言うので 娘はよく泣いて謝っていた。

何となく 変かも・・と言うことで 毎月行く眼医者の前にある
脳神経外科で MRIで検査してもらう事となった。
「前頭葉のところの細胞が半分くらいになってますから、この
アリセプト5mgを 毎朝飲んで様子を見て下さい」とのこと。

毎朝、私と父は飲ませ続けたが 10月も下旬にさしかかるころ
「わたし、何か な〜んも解らなくなってきた。ボケたんやろか?」
と 不安げに聞く。「お母さん! 誕生日は?」「2月8日や。」
「父さんは?」「3月3日」と即座に答える。

まだ 大丈夫かな・・?と思っていたが 11月に入ると もっと
ひどくなっていった。
また、同時進行で 隣のネコの数を把握しようと覗いてみた。
ざっと 見るかぎりは15匹位に思えた。

「避妊と去勢をしよう!」と 一大決心をした。
くちゃくちゃの家の中も 何とかせねば・・私の頭は超パニック
になった。 だけど、家の中にいて野良ネコと化したものを
どうやって 病院へ連れて行けばいいのだ・・。途方に暮れた。

近所の魚屋さんは「えっちゃん、これだけ増えたらお父さん 
お母さんの身体も家も壊れてしまうやろ?もう保健所に引き取って
もらったらいいと思うけど・・。」と言われた。

私も娘も「それだけは出きん!飼った責任と命の責任が
あるでしょう?」と即座に断った。しかし、全然 人に慣れない
ネコ達は逃げ回り 触る事すら出来ない。

娘は思い余り インターネットで動物協会へ相談をもちかけた。
# by kikisora | 2005-03-21 14:47
白いネコが後ろに見えるという母は、公務員であった父と
私が小学校2年の時、静岡へ転勤となり ついていく事となった。

私の目から見ても、父と仲が良く 母にとってもこの頃が一番
楽しい時期だったのかも知れない。
持ち前の明るい性格から 静岡県清水市の富士山が見える地域性が
合っていたように思う。

クソ真面目型の父に かなり「おっちょこちょい」の母だった。
ある時、大事な会議があり「お〜い!綺麗なハンカチをくれ!」と
ハンカチを受け取り会社へ出かけた。
会議の間の休憩時間、父は急いでお手洗いへ走り 用をたして
手を洗い 真っ白なハンカチを出し 拭こうとしたら「枕カバー」
であった・・(笑)

また、ある時はこたつ布団のところで私のほころびた上着を縫って
いた。「はい!出来たよぉ〜」と渡された時 布団もついてきた・・。

またまた、ある時 スーパーへ買い物に行き 買い物したもの全て
忘れ、近くのスーパーであったため 偶然立ち寄った私に「お母さん
忘れて行かれた分 ハイ!」と3つの大きな袋を渡された。
これが、1度や2度ではないのだ。

傘は、忘れて当たり前。 万事がこの調子なので いつしか母は
我々家族の間では 「サザエさん」と呼ばれていた。

このサザエさんが、隣のネコの世話、犬の世話をしていた訳だが
昨年の夏頃から 物を忘れがちになっていったのだ。

私も、仕事が多忙を極め 隣のネコの事を忘れていた。
夜、隣から聞こえるネコの声があまりにもうるさく 朝、母が
私の家へ来たとき「昨夜 さかりのついたネコの声がしたけど
避妊せないかんね・・。」と言ったら 「何か 押し入れから
子猫の声がする・・。」と言う。

一瞬 いやぁ〜な予感がした。「今 何匹のネコ居る?」
「5〜6匹くらいや。」ホント??
その夜、また響き渡るネコのさかり声。 「明日私の休みやから
覗いてみよう!」と眠ろうとするが眠れない・・。

朝一番、隣へ行くと ネコが頭の上を数匹飛び交った。
押し入れは惨憺たるものである。「一体、何匹いるんじゃい」
不安的中! しかも、サザエさんの様子が変???
# by kikisora | 2005-03-19 17:16